空手に先手なしと言われるのに、組手では先に攻撃するのはいいの?
このような疑問にお答えします。
先日、ツイッターでこのような投稿を見かけました。
確かに「空手に先手なし」という言葉は先に攻撃をしたらダメと捉えることができます。
では、そのように矛盾と感じる状況や言葉の意味について紐解いて解説いたします。
※当サイト「SORUSH!!」は伝統派空手(スポーツ空手ともいわれる)を専門で取り扱っています。
伝統派空手とはオリンピック種目になった空手です。
「空手に先手なし」の意味とは
まず、空手に先手なしという格言を知るために、空手の歴史を少しだけ辿ってみます。
この格言を言った人物は「船越義珍(ふなこしぎちん)」という空手の松涛館流を創設した方です。(空手に先手なしは別の人の言葉であるなど諸説あります。)
この船越義珍先生が「松涛二十訓」という格言を残しました。
松涛二十訓(一部抜粋)
一. 空手道は礼に始まり礼に終ることを忘るな
一. 空手に先手なし
一. 技術より心術
一. 道場のみの空手と思ふな
一. 空手の修業は一生である
一. 勝つ考は持つな負けぬ考は必要
一. 人の手足を剣と思へ
「空手に先手なし」という格言は石碑にもなっている
この格言は那覇市の琉球八社のひとつである沖の宮の入り口に設置されています。
沖縄に行く機会あればぜひ訪れてみてください。
大きな字で「空手に先手なし」と書かれています。
空手は時代とともに変化しました
船越義珍先生が「松濤館」という道場を作った年は昭和14年(1939年)のことです。
1939年といえば第二次世界大戦が勃発した年です。
その頃と比べると、現在の日本は全く状況が違いますよね。
現代の空手は競技としての側面が大きい
現代の空手は「勝つこと」が目的である、競技としての側面が大きいです。
しかし、それは松涛二十訓の「勝つ考は持つな負けぬ考は必要」という教えに反することです。
とはいえ、時代は変わっているのでそれも当然のことです。
「勝つ考は持つな負けぬ考は必要」という言葉を、現代の競技という側面の強い空手に言い換え、「勝ったとしても相手は悔しいんだから、その気持ちも察しろよ」といった捉え方もできます。
そして近年、オリンピック種目になったこともあり世界中で空手の技術面が向上し、とてもハイレベルになりました。
しかし海外選手は競技面重視の傾向があります。
伝統空手出身の総合格闘技家である堀口恭司さんが「日本」と「海外(ここではアメリカ)」の練習の違いを話しています。
この動画をみて非常に納得しました。
堀口さんは「日本は精神論、アメリカは技術論」と語っています。
つまり、海外で空手が盛り上がれば盛り上がるほど、空手は技術面が強化されていくのです。
これは松涛二十訓の「技術より心術」にも反してしまっていますが、空手が海外でも親しまれている証拠であるといえます。
組手では先手が許される理由
空手の組手に「先取」という「時間終了時に引き分けだった場合、一番最初にポイントを取った選手が勝ち」というルールがあります。
もし先取を取られた場合、時間終了までに逆転しないとダメということであり、反対にいうと先取さえ取ってしまえば、時間終了時に同点までなら勝ちなので有利に試合を進めることができます。
そのため「"空手に先取なし"なのに、先にポイントを取った方が有利というのはおかしいのではないか?」という疑問が出てきます。
「空手に先手なし」なのに、試合では先取を取ったほうが有利な理由は2つ
・試合には「先手」という概念がない
・空手は一撃必殺であるため
まず、試合とは「空手家同士の実力の試し合い」です。
「勝負始め!」と審判が合図したときからお互いの技の駆け引きが開始されています。
始まった段階で互いに技をかけているということは、そもそも「先手」という概念は試合には持ち込んでいないといえます。
さらに、空手は「一撃必殺」の概念があるため、最初にポイントを取った方が有利になるということです。
これがもし、喧嘩だった場合は異なります。
なぜなら、喧嘩は試し合いではないためです。
空手に先手なしという言葉は「出来るだけ喧嘩は避けなさい」ということです。
喧嘩をしないならそれが一番なのです。
しかし、どうしても喧嘩が避けられない状況になった場合は「後手」になるので、空手を使うのも止むを得ないという解釈が正しいとされています。